生きづらさナンバーワン!? 日本を覆う「空気」という妖怪の正体とは?
「郷に入っては郷に従え」という言葉があるように、その土地や文化によって異なるルールや習慣が存在するのは当然のこと。しかし、日本においては、時にそれが行き過ぎた「同調圧力」を生み出し、生きづらさを感じている人も少なくないようです。
今回は、私たち日本人を縛る「空気」という名の妖怪の正体に迫り、その実態と向き合い方について考えていきましょう。
エスカレーター問題に見る「空気」の正体
日々何気なく利用するエスカレーター。実は、そこにも「空気」の魔の手が忍び寄っています。
東京では右側を歩く人のために左側を開ける、大阪ではその逆、など地域によって暗黙のルールが存在します。しかし、これは鉄道会社が推奨する「歩かずに立ち止まって乗る」という安全のための呼びかけとは相反するもの。
実際に、秋葉原駅で右側を歩こうとした男性と、真ん中に立っていた男性が口論になり、暴行事件に発展したケースも。
「急いでいる人のために右側を開けるべき」「歩かないように呼びかけているのだから真ん中に立っていても問題ない」
それぞれの主張は理解できますが、そもそも「エスカレーターは歩くもの」という暗黙の前提が存在することが、この問題の根底にあるのではないでしょうか?
「空気」を生み出す日本の文化
では、なぜ日本ではこのような「空気」が生まれ、蔓延してしまうのでしょうか?
それは、幼い頃からの教育に起因している可能性があります。
欧米では「他者と違う個性的な人間になること」が推奨されるのに対し、日本では「人に迷惑をかけない人間になること」が重視される傾向があります。
そのため、日本人は「他人と違う行動をとること=迷惑をかけること」という意識が強く、常に周りの目を気にして行動してしまうのです。
マスク警察、リモート会議での顔出し…「空気」はあらゆる場面に潜んでいる!
「空気」の魔の手は、エスカレーター問題以外にも、私たちの日常のあらゆる場面に潜んでいます。
例えば、コロナ禍で問題視された「マスク警察」。マスク着用が個人の判断に委ねられた後も、屋外でマスクを外していると白い目で見られたり、心無い言葉を浴びせられることも。
また、リモート会議で顔出しを強要されるケースも。「通信環境が悪いから」「集中力を高めるため」など、もっともらしい理由が並ぶこともありますが、結局のところ「顔出しするのが当たり前」という「空気」が背景にあるのではないでしょうか?
その他にも、年賀状のやり取りや結婚式のご祝儀など、日本社会には「空気」によって成り立っている慣習やルールが数多く存在します。
「空気」との上手な付き合い方とは?
「空気」を読むことが求められる日本社会において、常に周りに合わせることだけが正解なのでしょうか?
もちろん、周りの状況を配慮することは大切ですが、時には「空気」に疑問を持ち、自分の意見や考えを表明することも必要です。
「空気」に流されることなく、自分らしく生きるためには、以下の3つのポイントを意識してみましょう。
「空気」は絶対的なものではないと認識する
「空気」はあくまでその場の状況や周りの人の価値観によって作られたものであり、普遍的なルールではありません。時には「空気」に疑問を持ち、自分の頭で考えることが大切です。
「空気」に流される自分を受け入れる
「空気」を読んでしまう自分を責める必要はありません。日本社会で生きていく以上、「空気」を読むことはある程度必要なスキルです。
自分の意見や考えを表明する練習をする
最初は小さなことからで構いません。例えば、友人との会話の中で自分の意見を言ってみたり、会議で提案を出してみたり、少しずつ自分の意見を表明する練習をしてみましょう。
まとめ
今回は、日本社会に蔓延する「空気」という名の妖怪について考えてきました。
「空気」は時に私たちを息苦しくさせることもありますが、上手に付き合っていくことで、より生きやすい社会を作ることができるのではないでしょうか?
「空気」に支配されることなく、自分らしく生きるために、まずは「空気」の存在を意識することから始めてみましょう。